「思い出のダービー」

京増真臣

 最近、ある番組で「京増さんにとって一番、記憶に残っているダービー馬は?」と質問を受け、「2005年のディープインパクトですね」と即答した。直線に向いて、パートナーを大きく外へと誘導した武豊騎手。「ディープインパクトはこんなに凄い馬なんだよ」。そうスタンドを埋め尽くした10万を超える観衆にアピールしているようにも映り、今でもあのシーンは鮮明に記憶している。その頃の中央競馬はいわゆる西高東低。日本ダービーも例には漏れず、勝つのは決まって関西馬という時代が長く続いていた。

 

 当時、自分は専門紙ダービーニュースに在籍。厩舎取材班に所属し、北海道へ出張する記者がいる夏場限定で小檜山悟厩舎を担当していた。いつも取材に応じてくれる調教助手の方とは研究ニュースに移籍した今でも仲良くさせてもらっている。

 ディープインパクトが引退した翌年となる2007年の夏。いつものように小檜山厩舎を訪ねた時のこと、普段は淡々とした語り口の助手さんが「この馬はかなり走るよ」と教えてくれたのがスマイルジャックだった。調教スタンドから稽古を見ると、首をグッと下げて、体全体を使って弾むような動き。同時期に小檜山厩舎からデビューを目指し、調教を重ねていたのが後にGⅢ京成杯で②着に好走し、日本ダービーにも駒を進めたベンチャーナインだったが、追い切りで2頭が併せると、スマイルジャックの前ではベンチャーナインの動きは霞んでしまうほど。順調に調整されたスマイルジャックは9月1日に新潟競馬場でデビュー。1番人気は関西馬のドリームガードナーに譲ったが、2番手から危なげなく抜け出してトップでゴール。最高のスタートを切った。

 

 

 新馬戦の勝ちっぷりの良さから1番人気に支持された芙蓉S、いちょうSが②着。そして重賞初挑戦となった東京スポーツ杯2歳Sでは③着。自分も重い印を打ち続け、馬券も購入していたが、いずれも惜敗。資質の高さは示したものの、馬体が成長途上だったのに加え、行きたがる面を出してしまったことで勝ち星から遠ざかり、2歳シーズンを終えた。

 

小牧騎手とのコンビで挑んだきさらぎ賞。

 

 スマイルジャックは年明け2戦目のきさらぎ賞で腕っ節の強い地方競馬出身の小牧太騎手にスイッチ。好位の外で上手に折り合って②着に踏ん張ると、続くスプリングSでは正攻法で優勝。「きさらぎ賞はソロッと乗ったんですが、それでも折り合いを欠いていたんです。それで今回は思い切り良く乗ろうと思っていました」とレース後の小牧騎手。スマイルジャックのリズムを優先し、積極的に運んだことが奏功。改めて潜在能力の高さを示した。

 ついに辿り着いたGⅠ舞台・皐月賞。前哨戦を勝ち上がったこともあり、単勝4番人気とファンの支持を集めていた。しかし、パドックからテンションが高いのが気になった。嫌な予感は的中。ゲートが開くとかなり行きたがって鞍上が抑えるのに苦労していた。しかも、ペースはスロー。リズムを整えることすらままならず、手応え良く、4コーナーを回ったが、直線半ばで力尽きてしまった。

 

GⅠ制覇を期待された皐月賞だったが、伸びを欠いて⑨着に敗れる。

 

 そして迎える第75回日本ダービー。予想してみると、毎日杯、NHKマイルCを連勝して臨むディープスカイの中心は揺るぎないか。そんな風に考えていたが、レース当週になってから妙にスマイルジャックが気になり始めた。デビュー前に厩舎取材で出会い、ダービーに至るまでトレセンでの追い切り、そしてレースで常に注目し続けた特別な馬というのは、これまでの記者人生でいなかった。昨年夏からの出来事を思い出すうちに、その潜在能力の高さに賭けてみたくなったのだ。幸いなことにダービーは先行タイプが少ない。落ち着いて、自分のペースで折り合って走れたらアッと言わせるシーンがあっていいのではないか。まったく力を出し切れなかった皐月賞から人気も急落し、気楽な立場で挑めそうな点も魅力に映り、◎を打った。

 当時、春の関東ローカル開催に出張していた私はダービー当日、休みをもらえたので、早朝から友人と東京競馬場へ。レースが進み、日本ダービーに出走する18頭がパドックに現れた。スマイルジャックは馬体が黒光りし、状態の良さが伝わってきた。しかも、皐月賞とは打って変わって落ち着き払っている。「これなら好勝負になる」。自信を持って単勝と、印を打った各馬への馬連を購入。スタートの瞬間を今か今かとスタンドで待ち受けた。

 

 

 ゲートが開き、スマイルジャックは少し出負けしたが、ジワッと加速してリカバリー。前半1000m通過タイムは60秒8とそれほどペースは上がらなかったが、3番手でピタリと折り合って追走。3~4コーナーでは痺れるような手応え。鼓動が高鳴り、グッと握った拳に力が入る。直線に向くと、スマイルジャックは逃げるレッツゴーキリシマを捉えて堂々と先頭。普段は冷静にレースを見ていることが多いが、この時ばかりは「小牧!」と声が出た。馬群を置き去りにして2馬身ほどリード。「やった!」と思った数秒後、外から白い帽子が飛んできたのに気付く。ディープスカイだ。四位騎手の左ムチに応えてグングン伸びるディープスカイ。その勢いは凄まじく、ゴールまで残り50m付近で離れた内を進むスマイルジャックを飲み込んだ。馬券の方は馬連13,270円が的中し、財布は膨らんだのだが、嬉しい気持ちよりも悔しさの方が上回った。

 

第75回日本ダービー。内で粘るスマイルジャックを離れた外からディープスカイが差し切った。

 

 後日、小檜山厩舎を訪ねた。助手さんは普段通りの穏やかな口調でダービーを振り返ってくれたが、言葉の中には悔しさが感じられた。そして、自分自身も「もう美浦の馬が日本ダービーを勝つことはないのか」。そんな気持ちになったことを思い出す。だが、翌年、ロジユニヴァースが関東馬として12年ぶりにダービーを制覇。その後、ドゥラメンテレイデオロと自分が美浦トレセンで調教の様子を目の当たりにしている馬たちがダービー馬になった。3歳世代の頂点に立つかもしれない逸材を2歳時から見られることが、このうえない幸せであると感じるのも、間違いなくデビューから追いかけたスマイルジャックの存在があったからと言える。 

 

京増 真臣

京増 真臣