皆様お久しぶりです、M.Mです。誰やキミは!?という方、初めまして。

 

 

競馬ブック M.M

 競馬があるところにはどこへでも足を運び、JRA、地方競馬場を踏破。2016年には香港にも遠征。JRAは勿論だが、地方競馬が大好物。ただ、馬券はド下手という致命的な弱点を持つ。どうしても競馬に関わる仕事がしたいと一念発起して、2017年競馬ブックに転職。業務で校正など、日々「日本語」と格闘中。

 

 

 今回は大阪府岸和田市にあった春木競馬場跡のご紹介です。実は前回の長岡競馬場のあと、和歌山までランチを食べに行ってしまい、既にかなり時間が押しておりました。

 

 

 

 

 春木競馬場跡は現在「岸和田市立まなび中央公園」となっています。最寄り駅は南海春木駅だと思いますが、18きっぷでJR縛りのため、久米田駅から徒歩で向かいます。徒歩20分前後でしょうか。長岡競馬場跡ほどパッと見ただけでは競馬場っぽい形は残していないように見えますが、よく見ると何やら名残があるようにも見えてきます。

 

 

 

 

 春木競馬場は1927(昭和2)年の地方競馬規則により大阪府で1カ所競馬場設置が認められましたが、当時は大阪馬匹畜産組合(大阪(南恩加島)競馬場)が認められ、翌年の改正により春木競馬場が設置され、泉南郡畜産組合の主催で初めて競馬が開催されたのは1928(昭和3)年11月とされています。売り上げは地方競馬として全国1位を記録するなどかなり盛況だったようです。戦争による休止を経て、戦後に再開されたあとも人気だったようですが、それでも長岡競馬場と同じように競輪などに押されて一時は低迷。しかしその後再び人気は上昇、立派なスタンドも建てられ、国内でもかなりの売り上げを誇る競馬場として人気を博したそうです。X字型の襷の障害コースも備えており、障害レースも行われていました。紀三井寺競馬場編で名前が出た山中利夫元騎手は春木競馬場でデビューし、リーディングも獲得しています。

 

 

 春木競馬場が他の廃止になった競馬場と決定的に違うのは、経営悪化による廃止ではないということです。その背景には当時のギャンブルに対する風当たり、また、マナーの悪化による地域住民とのトラブルがありました。そうして廃止運動が巻き起こり、1974(昭和49)年3月の開催を最後に廃止となりました。公園の中央にある中央公園竣工記念の石碑にはこう記述されています。

 

 

 

 

青少年や地域住民に及ぼす影響などを考慮して(中略)完全廃止となりました

 

 

 現代でも競馬場におけるマナーなどの問題は取り上げられますが、当時はギャンブルに対する見方なども含め、今の時代の比ではなかったことが窺えます。

 

 

 まったく関係ないですが、実は私、幼少期は一時期岸和田に住んでおり、競馬場跡から車で5分ほどの距離にある聖母幼稚園に通っておりました。当然その頃には競馬場は既になく、競馬の「け」の字も知らない今と違って心の綺麗な子供でした(知らんけど)。覚えていることと言えば、だんじりを見たような記憶と、当時住んでいたアパートの裏口的なところで猫に引っかかれたことくらいです。

 

 

 それでは跡地の方へ参りましょう。JR側から歩いてくると入口は当時の向正面にあたるところになります。入るとすぐに案内板が。これを見ると「おっ、これは…」という感じがしますね。向正面を3コーナーに向かって歩いていきます。

 

 

 

 

 川のすぐ手前に並ぶ並木。この並木のラインがコースの外ラチだったと思われます。川の手前と聞いておや?と思った方はいるでしょうか。先ほどの案内図で川の結構手前から公園のカーブがあるわけですが、これは当時のコースとは関係ないカーブになります。というのも、春木競馬場は当時の航空写真などを見ても分かるのですが、3、4コーナーは川を渡っているんですね。つまり川に橋がかかっていたことになります。

 

 

 川を越えて2コーナー方面を撮影した写真をよく見ると、のり面の一部が他と違う感じになっています。この部分に橋がかかっていたのかもしれません。

 

 

 

 

 再びコースに戻ります。川を越えた先には再び並木があり、その間にいかにもなカーブが残されています。これが3~4コーナーと思われます。さすがに幅はもう少し広かったと思います。4コーナーらしきカーブを回り終えると橋がありますが、案内図の向正面と正面の直線はほぼ当時の位置ではないかと思われるので、この橋ではちょっと位置が合いません。正面直線と思われるところからそのまま川を越えて4コーナー過ぎにあたるところに空き地の駐車場があります。ここは4コーナーのポケットだったようで、ゴール側から4コーナーポケット方面を撮影した写真では3コーナー手前と同じように、一部のり面が他と違う感じになっています。ここに橋がかかっていたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 スタンドの跡などは見る影もありませんが、正面直線はほぼその原型をとどめている感じがします。そのまま1コーナーへと向かっていきます。1コーナー手前で私がこの日一番見たかったものがありました。

 

 

 

 

 何やら門のようなものがあるこのスペース、その門のところにあるのがこちらです。

 ところどころ欠けてはいますが、よく見ると

 

 会興   府阪大

 所務事理管場 競木

 

と読めなくもありません。

 

 

 おそらくこれは「大阪府畜産振興会、春木競馬場管理事務所」と書いてある看板なのではないかと思います。ではなぜ反転しているのか。

 

 

 2023年、関西の夕方の某情報番組で春木競馬場が取り上げられました。たまたま私はそれを目にしまして、この看板がなぜこうなっているのかを知ったのです。当時の放送では、競馬場があったという証を残したいが、廃止の経緯が経緯だけに表立って残しづらい。そこで関係者が裏返しにして貼り付けた、という感じのことだったと記憶しています。おそらくあの番組を見ることがなければここに気づくことはなかったでしょう。ここにはしっかりと春木競馬が存在していた証が残っています。もし訪れることがあれば是非目にしていただきたい場所です。

 

 

 

 

 では1コーナーから2コーナーへ…と言いたいところなのですが、次の場所がここから結構遠く、日が暮れてしまいそうだったのと、前半でご紹介した石碑がどこにあるのか分からず、探すのにかなり時間を要してしまったので(結局公園のほぼ中央、ど真ん中にあったのですが)1~2コーナーは回らず駅へと急いだのでした。