皆様お久しぶりです、M.Mです。

いろいろ大人の事情?により前回(約1年前に投稿)からかなり時間が空いてしまいましたが、その後も何カ所かは競馬場の跡地を訪問しておりました。せっかくですので、このまま埋もれさせておくのも勿体ないということで、このたび、日の目を見ることとなりました。

 

 

競馬ブック M.M

 競馬があるところにはどこへでも足を運び、JRA、地方競馬場を踏破。2016年には香港にも遠征。JRAは勿論だが、地方競馬が大好物。ただ、馬券はド下手という致命的な弱点を持つ。どうしても競馬に関わる仕事がしたいと一念発起して、2017年競馬ブックに転職。業務で校正など、日々「日本語」と格闘中。

 

 

 

今回は奈良に存在していた競馬場です。まずは地図を見ていただきましょう。

 

▲奈良競馬場跡地付近の地図

 

一目瞭然、見るからに競馬場といった形状がそのまま残されています。最寄り駅は近鉄の平城駅で、近くにJRの駅がないことが前回までの「18きっぷで巡る旅」で訪れなかった大きな理由でもあります。隣接しているのは奈良競輪場で、こちらは当時パドックだったと言われている場所です。私はまったく興味がないので競輪場に足を踏み入れたのは初めてですが、バンクは想像していたより意外と小さいんだなと感じます。

 

▲奈良競輪場

 

これと同じ感想を持ったことが以前にもありました。国会議事堂です。国会もテレビなどで見るより実際見てみると意外と狭いんだなあという感想を持ちます。あとから調べてみると奈良競輪のコースは他の競輪場よりも小さいようで、小さく感じるのも当然だったと言えば当然だったのかもしれません。

 

▲外から見た奈良競輪場

 

本題に戻りまして、こちらは秋篠競馬場と言われています。こちらができる前に尼ヶ辻競馬場というものがあり、そちらは現在の朱雀門ひろばの近くにあったようです。1周1000mのコースで昭和4(1929)年に初めて開催が行われましたが、規模が小さかったこともあり、10年ほどで廃止となります。秋篠競馬場尼ヶ辻競馬場から昭和14(1939)年12月に移転して再開されました。コースは1周1600mとかなりの規模です。これは現存している地方競馬場ともまったく遜色なく、むしろその中でも大きな部類に入ります。一説によれば公認競馬への昇格も目指していた、中央競馬への転用も考えていたとも言われており、スタンドは東洋一と言われていた昔の京都競馬場の木造スタンドを移築した立派なものでした。

 

▲このあたりに奈良競馬場のスタンドがあった?

 

昭和初期にこれだけの規模の競馬場が奈良に存在していたとはまったく知りませんでした。その後戦争に突入し、戦後に再開されますが、こちらも10年ほどで休止に追い込まれます。昭和25(1950)年5月に競馬場に併設された競輪場で開催が始まったとあり、同じ年の12月には競馬も開催していたようですから、この年はどちらも開催されていたということになりそうです。その12月の開催を最後に競馬は休止となります。実際廃止になった年は昭和26(1951)年や昭和29(1954)年という記述があり、軽く調べた限りでははっきりした確証は得られませんでした。競輪が初めて開催されたのが昭和23(1948)年で、その後、競輪場の建設ラッシュが始まっていますので、その競輪ブームに押された影響は大きかったのかもしれません。

それでは跡地を辿ってみましょう。現在の競輪場の駐車場に当たる部分、秋篠川の流れに沿ってゴール前の直線がありました。

 

▲川に沿ったホームストレッチ部分

 

そのまま北へ向かうと道路を横切り住宅が並んでいるのが1コーナーです

 

▲1コーナーがあったあたり

 

こちらは内側から見ると住宅の境界線が見事なくらいにコーナーを思わせるカーブになっており、競馬好きな方ならパッと見ただけで分かるそれです。

 

▲1コーナーのカーブを思わせる住宅の境界線

 

そのまま左手に高校を見ながら2コーナーへと向かっていきます。

 

▲2コーナー付近

 

これまた綺麗なカーブが残っており向正面に入っていきます。航空写真からも向正面の道路のラインが内ラチのラインで、並ぶ住宅の1区画分がほぼほぼ走路の幅と思われ、幅員は30mあったということですから結構広いコースだということが分かります。

 

▲向正面の直線部分①

▲向正面の直線部分②

 

ネットを探索していると1枚だけ開催当時の直線の様子を写した写真が見つかりました。やはりコース幅、観戦エリアともに広く、観戦する人で賑わっている様子が見て取れました。

 

▲3コーナー付近①

▲3コーナー付近②

 

3コーナーを迎えるとその先には近鉄平城駅があり、そのあたりで道路は内ラチ沿いから一旦コーナーの形状を失いますが、外ラチ沿いっぽい道路を道なりに進み川を渡ると空き地沿いに4コーナー跡と思われるカーブが現れ、

 

▲4コーナー付近

▲4コーナーから3コーナー方向

▲4コーナーから直線へ

 

そしてそのままホームストレッチである現駐車場へとつながります。コースを1周して、航空写真などを見るとどうも形状に見覚えがあるなと思えてきます。おむすび型で現在の阪神競馬場の内回りによく似ているのです。3~4コーナーにはフォルスストレート的なものも見えます。

 

▲3、4コーナー中間点

 

川を跨ぐコースといえば以前に取り上げた春木競馬場もそうでした。春木ではいかにも橋がかかっていたあとをあとから埋めたような形状の違う のり面がありました。こちらでも軽く探してみたのですが、どうも分かるような痕跡は見つけられませんでした。よくよく探せば何かあるのかもしれませんが。

これだけの立派なコースを有していただけに、もし競馬と競輪がその後も共存し続けていたらとも思いますが、その時代その時代の流れというものはこういった施設には大きな影響を及ぼすと思い知らされます。奈良という土地柄か周辺に古墳などもあるため、競馬場跡を遺跡だと思っての問い合わせもチラホラあったとか。競馬も歴史も好きな方は奈良の寺社仏閣、遺跡巡りのお供にこちらの跡地巡りも是非どうぞ。